柴田昌平監督のメッセージ



映画「ひめゆり」は、ひめゆり平和祈念資料館のリニューアル総合プロデューサー・コーディネーターを務めた柴田昌平監督が13年かけて作った、2時間10分の長編ドキュメンタリー映画です。

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なぜ今『ひめゆり』なのか…

監督 柴田昌平

1994年、戦後50年を迎えようとしている時期、人づてに「ひめゆりの人たちが体験をきちんと記録したがっている」という話を聞きました。「なぜ?」私には意外でした。というのも、ひめゆりについての映画やテレビ番組はそれまで何度も制作されていたので、今さらなぜなのだろう、と素朴に思ったのでした。

「ひめゆり」という言葉は、私たちや上の世代の人にとっては必ずどこかで耳にしたことがある名前です。繰り返し映画やテレビ、舞台で取り上げられ、「沖縄戦における悲劇の従軍看護婦たち」というイメージが定着しています。「聖なる人々、殉国美談、反戦の語り部・・・」さまざまな概念が「ひめゆり」には付着していて、私自身には重すぎるとそれまで避けていたテーマでした。知った気にもなっていました。

しかし実際にお会いしてみると、私がわかったつもりになっていたのは余りに表面的なことにすぎないということに愕然としました。何よりも、生存者お一人お一人が実に個性的だということに驚きました。テレビの映像で観るときに感じていた “決まり文句のように悲劇の体験を伝える語り部の人々” というイメージが崩れました。

「まもなく私たちは70歳になります。いつまで生きていられるか分かりません。私たちの体験をきちんとした形で映像で記録できないでしょうか。遺言として残したいのです生存者の方々から言われました。

ひめゆり学徒たちの思いと体験は、マスコミなど伝える側の思いが強すぎ却ってきちんと耳を傾けてもらえなかったり、断片として切り取られ伝えられることが多かったのです。

沖縄の親戚の家に泊まりこんで、彼女たちの証言にじっくりと耳を傾ける日々が始まりました。私はひたすら受容体となりきろう、皆さんが話したいことを話し終えるまではじっと耳をすまそうと思いました。

カメラマンの澤幡さんが優しい目線でずっとカメラを回しつづけてくれます。その後も折に触れて、体験の記録をしてきました。13年間にわたって記録した証言は、22人、約100時間分になります。

映画の完成を待たずに3人の方が他界され、2人は病気で自由に外出できなくなりました。ひめゆり学徒の生存者の皆さんは今、80歳前後となりました。彼女たちの眼の黒いうちにしっかりとした映画として世に出したいという思いで、この作品を皆さんに問うことにいたしました。

語られている内容は過去ですが、語っている切実さは 「今」 にそのままつながっています。過酷な記憶を掘り起こし、自らの言葉にするまで、彼女たちには数十年の月日が必要でした。

戦争体験から受ける印象は悲惨です。

しかし、ひめゆりの生存者からはしっかりと生きている強さを感じます。

それは彼女たちの根っからの明るさ、やさしさ、そして生命への信頼感があるからです。

この映画は、今を生きる私たちに多くの示唆と希望を与えるものと信じます。


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